移民が生きる街の訪問と「ともに生きる」活動体験(5月24日-25日)

移民が生きる街と「ともに生きる」活動(ワーク18)

5月24日(土)から25日(日)に、横浜市と川崎市において、移民とともに生きる体験のフィールド・ワークを行いました。その準備として、4月には在日コリアン、日系人、中国帰国者、戦争花嫁、JFC、結婚移民、アメラジアン、技能実習生という日本にかかわる移民の事例を各自調べ、5月には2人1組で子どもへの日本語教育(大学)、中華街の成り立ち、ふれあい館の活動、川崎の歴史と在日コリアンについて事前学習したうえでのフィールド・ワークです。

 この濃厚な2日間で学生たちは、移動をすること、実際に人に会うこと、話を聞くこと、街をみることの意味をどのように受け取ったのか、自分の中で何が変わったのか今後の授業で確認していきたいと思います。

【Day 1  First Session (5月24日 9:30-11:45)】

フェリス女学院大学緑園キャンパスで高大連携授業の「〈やさしい日本語〉ワークショップ」に参加し、フェリス女学院大学の学生と多様な国からの留学生、英理女子学院高等学校の高校生と避難生活のルールを「やさしい日本語」に置き換える体験をしました。「やさしい」とは易しいと優しいの二重の意味があり、出身によって「易しさ」は違うこと、覚えなければならない言葉は置き換えないことなど基本的なことを学習した上でのワークでした。普段は「わかるでしょう」という思い込みで使っていることばが、日本の文脈でしか通じないことに気づき、正確に伝えることが意外に難しいということを理解できた経験でした。その後の移動や掲示物にも気を付けて見られるようになり、スタートにちょうどいいワークショップでした。

<学生の感想>

「やさしい日本語」を学ぶことは、優しいけれど易しくないという言葉が心に残りました。

私のグループの中には中国、ウクライナ、モンゴルから来た留学生の方々がいて、話し合う中で、どんな状態がどんな人々もわかる日本語なのかという真ん中を探る作業の難しさを知りました。

自分で思っている以上に、外国人に対してステレオタイプがあったことにも気がつきました。特に、外国人はあまり敬語がわからないだろうということや、漢字をひらがなに変えた方がわかりやすいだろうということです。しかし、人によって、日本語能力や出身国が違うため、一概に決めつけるべきではないと感じました。

【Day 1  Second Session (5月24日 14:15-16:15)】

日系アメリカ人3世Ken Fujioka先生による「日系アメリカ人の歴史とFujioka家のライフ・ヒストリー」の講演を英語で聞きました。江戸末期にハワイ王国との取り決めで日本人を労働者として送ることに始まり、明治政府によって海外への労働移住が促進され、広島と山口からハワイへと多く移り住んだ歴史的背景、その後日本軍による真珠湾攻撃以降の日系人たちの強制移住や強制された自発性による同化、軍隊への動員など国家に生き方を翻弄されていく過程を写真や証言から教えていただきました。今各地で起こっている紛争や戦争で引き裂かれている人々や犠牲者、被害者も想起させられる歴史を知ることができました。

<学生の感想>

”アイデンティティ”というものが自分の想像を超えるほど自分を形成する大切なものであることを強く実感しました。特に戦争が起こった際に日本との繋がりのあるものを自主的に捨て、アメリカ人であると言い聞かせていたという事実が心に残っています。顔や名前までも変え違う自分になっていくことがどれだけ心苦しく、自分の人生を一回やめるようなことをしなければならなかった時代が存在したことは体感として経験していませんが、自分について深く考えさせられました。

日系アメリカ人の中でも1世、2世の間でそれぞれの日本人というアイデンティティに対する立場の違いが興味深かったです。戦争の影響で、アメリカでは「日本人は敵」というイメージがついていてアメリカ国内で日本人として生活するのはとても苦しい環境だったと知りました。その中でも1世の人々は日本人というアイデンティティを持ちながらアメリカに移住しているという複雑な背景があり、日米間の関係の悪化はとても悲しいものだったと思います。2世の人々はアメリカで生まれ育っており、自分達はアメリカ人だと認識していたのにも関わらず日本人の見た目をしていることによって、差別を受けていたという話が印象に残っています。1世の人々は日本とアメリカの間で揺れ動く感情があり、2世の人々は戦争が起こった瞬間に不本意に日本人というアイデンティティを引っ張り出され差別をされていたという事実を知りました。

【Day 2  Third Session(25日10:00-12:00)】

川崎市桜本にある「ふれあい館」」桜本こども文化センターで過ごしました。職員の鈴木健さんから、ふれあい館での仕事をするに至ったライフ・ヒストリーをうかがい、高校から大学にかけフィリピン人移住者とのかかわりの中でコミュニティ作りをしながら自分のアイデンティティを確認していったこと、移住者とともに生きる中で、「いろんなことに縛られずに生きられたらいいな」という重い言葉が印象的でした。「何人」であることからの差別や偏見、貧困などを直接知ったからこその言葉です。桜本のこのふれあい館の活動は、在日大韓基督教川崎教会の牧師さんが自分の名前を名乗れる環境をと発案された保育園から始まり、出身を問わない児童館、学習支援、在日コリアン女性の識字学級、コロナ禍で始まった食品や生活必需品の配達、クッキングナイト、フードパントリーとその時の状況や困難を素早く知って、それを解決する次の行動へ迅速に移して、できるだけのことをしたいという強い思いに裏打ちされる活動ばかりでした。

<学生の感想>

事前学習をしてきたのですが、やはり実際に当事者である鈴木さんのお話を聞かせてもらうと、現地で目にしないと、肌で触れないとわからない水面下の問題が山のようにあるのだなと痛感させられました。特に鈴木さんが生活が困窮している母子家庭の家庭に食材をコロナ禍に配っていた話ですが、実際に鈴木さん自身が食材を持っていくと、その母子家庭内で、ネグレクトがあったり、逆に子供側が反抗して問題を抱えていたりして、その食材が有効に働いていなかったのを目で見て、クッキングナイトを企画した話が印象に残っております。そのため、私自身もネットや本などで情報を集めて終わりではなく、実際に現場に行ったりして目で見て、肌で感じることで自分の今後の学びを充実させていきたいと考えています。

【Day 2  Fourth Session(25日12:00-14:00)】

在日大韓基督教川崎教会でのフードパントリーに参加させてもらいました。子どもたちとともに駐輪の注意係、配るものの準備、次回のチラシ配布や名前を書いてもらう係、配布係などに分かれての参加です。今回お米が間に合わず、人数は少なめでしたが、今年になってからフードパントリーを必要とする人が多くなっていることを知り、物価の高騰の影響を一番先に受けるのは誰なのかを思い知らされました。そして昼ご飯は、在日コリアン女性たちの手作りのクッパとキムチをいただき、そのおいしさと旅人への無償の食事、いままで知り合いでもなかった人と食卓を囲めたことに心が温まりました。

【Day 2  Final Session(25日14:00-15:00)】

橋本みゆきさんから桜本の街の説明と「多文化共生をめざす川崎歴史ミュージアム」の設立企画について話をうかがいました。事前授業で調べた川崎市と在日コリアンの歴史では知りえなかったことを多く学ばせてもらい、差別やヘイトスピーチにどのように対抗していったのか、運動の歴史と背景を深く知ることになりました。

<学生の感想>

在日コリアンの方々が差別を受けた経験や思いを語り、それを元にミュージアムの設立に向けて取り組んでいるという点が印象に残りました。自身が受けた過去の差別や偏見のことは、思い出すだけで辛いこともあると思うし、語るという行為は非常に勇気が必要だと思います。しかし、あえてそれを語り、多くの人に伝えようとするのは、差別・偏見のない社会を構築していくうえで重要だと思うし、何こそ実体験が一番心に残ると思いました。また、展示物に関して意見をぶつけ合う姿は、自分たちの人生そのものを映した活動であることが伝わりました。

印象的だったのは差別が無知から来るということです。根拠のない考えに流されるのではなく、歴史を学んで不当な序列の考え方を排除していかなければならないと感じました。また、多文化共生を目指す上で、歴史や当事者のことを知ることができるミュージアムの必要性がよく分かりました。

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