リスク認知におけるふたつの判断

私の研究テーマはこんな感じです
物事の持つリスクの程度を正確に捉えるのは生存において重要な能力です。とは言っても,私たちはどの程度それを正確に分析・判断できるのでしょうか。人はリスクをじっくり分析して判断することもある一方で,時にはむしろ,「安全だ」「危険だ」のように素早い直感的判断を駆使しているようにも感じられます。はたしてこれら2つの判断は生存にどう重要でしょうか。これは条件や個人によっても異なりそうです(図の赤と青の思考,どういう時にどちらが自分の思考に近いでしょうか?)。このように,人のリスクに対する分析的判断と直感的判断がそれぞれどういう対象や場面で有効にはたらくのかに興味があります。
こんなこと知りたい、話し合いたい、教えてほしい!
図ではオオカミを例に出していますが,人以外の動物が実際に直感的判断をしているのか私自身はよく知りません。様々な動物がどのように危険を捉えて対応行動をしているのかを知りたいです。
これが私の得意技です! このことなら私に聞いて~
人が危険やリスクをどう捉えるかや,その心理学的測定方法については比較的詳しいかもしれません。
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分析的判断と直感的判断が,その後の結果にどれくらい影響を与えるかを,定量的に比較するような研究手法があるのですか?
判断時間を極端に短く制限して直感的判断(とされるもの)を促すような実験はありますが、その両方を促す研究手法はあまりないかもしれません。何せ、どちらを経由した判断か区別がむずかしい。
リスク回避や認知は生きていく上で大切な機能だと思うので、それを心理的な面からアプローチして解析していく事ができるということが面白かったです。高齢者ドライバー問題につながるとよいと感じました。
対象にもよりますが、一般的に年齢を重ねるほど全般的にリスク認知は下がる(つまり楽観的になる?)傾向が見られます。そうした中でリスクをどう認知してもらうかは工夫が必要そうです。
リスク認知
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とても難しいテーマだと思います。私の常識は誰かの非常識かもしれない。
私は常識人だと自ら感じている人は、人の意見は耳に入らない。
年代も、性別もからんでくる。リスクの感じ方も伝え方も発信する方のユーモアやセンスも問われる。
いわゆる「自分は大丈夫だ」という感覚をどう抑制するかは重要なテーマだと思います。リスクコミュニケーションや、災害時の警告のあり方においての課題ですね。
崖を動物は本能で避けるようです。(ゾウや赤子etc)
人にせよ動物にせよ、例えば高所など、学習が生じる以前から避けたり怖がる対象はありそうですね。そういう場合、果たして「リスク認知している」と言えるのだろうかは気になるところです。
イメージ図がとても分かりやすいと思いました。
ありがとうございます⚠️
災害時の避難意向にも関係していますね、このテーマは。
リスク認知が高いからと言って防災行動にはつながらないという現象が知られていますが、特に根拠はないものの防災行動はもっと別の要因で決まっているように思います。「避難しなければ」という判断はリスクが高まっていると感じるから起きる?
人間においてもリスク認知の程度は様々です。生きてきた環境・体験・したリスクなどによって差があると思います。頑張ってください。
ありがとうございます。そうした様々にもまさに環境・経験などによって作られる一定の法則があるのではないかと考え、それを明らかにしたいと思っています。
人間のリスク認知が進むとAIがより人間化すると思いました。教師データをどう数値化するのか?
AIによるリスク評価の開発研究もあったりしますが、(印象でしかないですが)まだ未発展です。そもそも避けなければいけない事態はしばしばそれ自体がごく稀な現象なので、学習に必要なデータが集まるのに年月を要すると思われます。
本能では「やめたほうがいい」「危険だ」とわかっていてもやめられないことってあると思います。そういうときのリスク認知はどうなっているのか気になります。
一つはそれをするだけの利益があるからだと思います。また、いわゆるセンセーションシーキング、刺激が欲しいからということもあるかもしれません。いずれにせよ、リスク認知だけが意思決定を決めていないと思われます。
クマ・イノシシ・サル・シカ・ハクビシンのリスク認知を解明してもらえると、農村にとっては獣害対策をしやすくなり大助かりです。
詳しくないので曖昧な返信になってしまいますが、例えばクマでは未確認生物と遭遇時に立ち上がって嗅覚で相手を確認しようとするなど、それぞれの動物に警戒にあたるフェーズがあるのかもしれません。その際にリスクが高い、危険だと思わせられたら退避に追い込めるのかもしれません。
思考のメカニズム気になる。
頭の中を覗くことができないので難しいところですね。だからこそ気になります。
動物がどう思っているのかを知りたいと思った。
そうですね。人間同士であれば言葉を介して相手の思っていることを知れるわけですが、しかしよく考えてみると、言葉があれば相手の思っていることを完全に知ることができるわけでもないかもしれません。
野生動物や本能などが暮らしに活かせたらすごいです。
おそらくですが、本能と呼ばれる判断ないし行動特性などは、今でも十分暮らしに活かされてい(があまり意識できない)のだと思います。意識的に駆使できれば便利そうですね。
瞬時の判断について性格も大きくかかわってくるので自己コントロールの仕方等も知ってみたい。
分析的判断と直観的判断は多くの人に備わっていることと考えられますが、それがどう使用されるかは性格によっても変わりそうですね。
オオカミは嗅覚や聴覚が鋭いので人間よりも早く危険が近づいてくるのに気が付く。ということは人間よりもたくさん情報処理をしていて、人間のほうがとっさの判断をしている可能性もあるのだなあと思いました。
オオカミがそのように判断している時、人間は遭遇してから咄嗟の判断をしている時、そこでは一体何が「合理的判断」なのかは気になるところですね。
リスク認知における分析の基準は「経験量」だと思う。その経験を得るのは幼少期が大きいと思います。人生は判断基準にも役立てるのでは…?
実際、リスクある場面においては分析というより経験を駆使してその場その場の判断を引き出しているというのを提唱するモデルもあります。これが正しいならば、幼少期からリスクある経験をある程度することが熟達化に重要そうです。
人にとってのリスクと野生で生活している動物とではリスクのとらえ方が異なると思うので興味があります。まずどのように分類するのか難しそうです。
ヒトも外敵や捕食の脅威から完全に解放されてもいないと思われるので、まずそうした野生動物とヒトとで共通のリスクをどう捉えるかを比較するなどがありえるかもしれません。