すぐには効果の見えない教育を大学で行うには?

私の研究テーマはこんな感じです
大学の教育は、学生が半年で知識や技術を身につけるものから、卒業時までに資格を取得するものや、卒業後を見据えて主体性や論理的思考力を身につけるものまでさまざまなものが行われています。他方で、教育効果の可視化を求める動きがあります。では、学生が身につけた能力を試験結果や資格取得などによって可視化できない場合、どのように教育効果を示せばよいのでしょうか? またそのような教育の担い手(教員や職員の場合もあれば、企業や各種団体職員、地域住民など学外の関係者の場合もあります)をどのように評価すればよいのでしょうか? 「すぐには効果の見えない教育」を大学に位置づける方法を、今後、考えていきたいと思います。
こんなこと知りたい、話し合いたい、教えてほしい!
「教育の長期的な効果を測る指標」「目に見えないけれど教育する上での大事なポイント」「教育と研究の組み合わせ方」など、普段、考えておられる内容についてお話を聞かせてください!
私、こんなことできます。このことなら私に聞いて~
教育としてのフィールドワークを実施しながら、そのプログラム化やよりよい運用に取り組んできました。
“すぐには効果の見えない教育を大学で行うには?” に対して4件のコメントがあります。
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私も教育に関わる人間ですが,「自分で考えて適切に判断して動ける」という能力を育てる・引き出すのが大事だと感じています。これって,目に見えにくいところですし,評価も難しいところですよね。でも,フィールドワークなど,新たな現場に出たときに結構発揮できる力のような気がします。
お返事を有難うございます。「考える」「判断する」「行動する」という要素がありそうですね。それらに加え、そもそも「気づく」能力も必要かもしれないと思いました。そのような能力を育てる工夫をどのように行われていますか?
私は普段、学生と話したり、任せたりすることを繰り返していますが、「話す」は「気づく、考える、判断する」能力に関連し、「任せる」は「行動する」能力に関連するのだろうなと思いました。
「話す」や「任せる」は、状況や相手に合わせて行っているので、それこそ「自分で考えて適切に判断して動ける」の一例だと思うのですが、自分では分析しきれません。一緒に話しながら考えてくれる人や、参考になる研究があるとうれしいです。
可視化、数値化できない教育の効果を計測するのは難しいですね。国際協力におけるエンパワーメント指標の研究などが参考になるかもしれません。教育現場ではありませんが、海外で非識字の貧しい女性や被差別カーストの人々と共に事業を行ったことがあります。事業報告では、家計収入の増加のように量的に図れるものだけでなく、質的な成果(学生で言うところの主体性や論理的思考力に近いもの)を示す必要がありました。当時は、何をもって自分たちが成長した「成果」とみなすかを本人たちに考えてもらったような記憶があります。定期的に集まって協働活動を続けられるか、会議で結論に至れるか、グループに問題が起きた時に適切な人に相談して解決できるか、役人などを前に意見を言えるか、、、などが上がったような気がします。
コメントをくださり有難うございます。
何をもって成長と見なすかを「本人たちに考えてもらう」というというのはよい考えだと思いました。私には考えつかない観点が挙げられるのではないかと思います。
また、国際協力におけるエンパワーメント指標を調べてみます。お教えくださり有難うございました。